クチコミ人気1位の橋「角島大橋」、世界遺産に登録された「萩の産業遺産群」、「日本ジオパーク」に認定された「秋吉台・秋芳洞」。長門市はこの3つの日本有数の観光スポットの真ん中に位置し、いずれも長門市から約30分で行くことができます。青海島、元乃隅神社、千畳敷など、長門市が誇る絶景スポットとあわせて、長門を拠点に絶景・史跡めぐりを楽しんでみてはいかがですか?
萩反射炉(萩市)
安政5年(1858)に築かれたもので、艦船銃砲等の材料熔解製造に用いられていました。 炉は玄武岩とレンガを使用し、基底は長方形で上部が漸次狭くなり、2本の煙突にわかれていて、高さは11.5mあります。 恵美須ヶ鼻造船所跡(萩市)
萩藩が、安政3年(1856)に設けた造船所の遺跡で、幕末に「丙辰丸」「庚申丸」という2隻の西洋式帆船を建造しました。丙辰丸はロシアの技術、庚申丸はオランダの技術が用いられており、このように2つの異なる技術による造船1つの造船所で行った例は他にないこと、また幕末に建設されたもので唯一遺構が確認できる造船所であることが評価されています。
大板山たたら製鉄遺跡(萩市)
砂鉄を原料に、木炭を燃焼させて鉄を作っていた江戸時代の製鉄所の跡。日本の伝統的な製鉄方法であるたたら製鉄の遺跡で、1750年代~1860年代の間に3回操業していました。恵美須ヶ鼻造船所で建造した1隻目の西洋式帆船「丙辰丸」を建造する際に、大板山たたらで製鉄されたものが船釘などに利用されました。建物跡などの遺構が露出した形で整備されています。
萩城下町(萩市)
萩城下町は、幕末に日本が産業化を目指した当時の地域社会における政治・行政・経済をあらわす資産で、萩城跡・旧上級武家地・旧町人地の3地区を指します。 ここで萩藩の産業化や西洋技術の導入についての政策形成が行われ、また当時の城下町に高度な匠の技があったからこそ、日本の産業化が急速に進んだと考えられています。萩城下町は、産業化を試みた幕末の地域社会を非常によく示していると評価されています。
松下村塾(萩市)
松下村塾は、吉田松陰が安政4年から5年(1857年~1858年)に主宰した私塾で、萩市椿東(ちんとう)の松陰神社の中にあります。 松陰は海防の観点から工学教育の重要性をいち早く提唱し、在来の技術者を総動員して自力で産業近代化の実現を図ろうと説きました。黒船来航で欧米の軍事力を目の当たりにした松陰は、自分の目で海外の実情を確かめたいと考え、国禁を犯してまで黒船に乗り込んで海外密航を計画しました。 松陰の教えを受け継いだ塾生らの多くが、のちの日本の近代化・工業化の過程で重要な役割を担いました。