記事更新日:
2016.02.25
ライター情報:
長門市観光コンベンション協会
山県有朋がお気に入りの芸妓の引退に失望するだろうことを笑ったり、佐世(前原一誠か)が男色で糾弾されていること、唯雪にゴム入りの衣服を送るなど、人間味あふれるエピソードが描かれている。
禁門の変後、素彦が投獄された際に、妻・寿は湯呑を差し入れている。素彦と共に投獄されていた唯雪は、湯呑に「ヅクニウ(みみづく坊主)」と名付けている。ヅクニュウに似た磁器製の杯を自ら作り、唯雪に贈った際の書簡。二人が共にした苦労は、深く刻まれた思い出だったことがよくわかる。
妻・寿亡き後、文との縁談が持ち上がったが、肝心の文が不服の様子。どうも、松本流の漢学の先生(松陰、もしくは玉木文之進か)の「婦人は再度の夫を持つものではない」という教えを守っているようなので、説得して欲しいと依頼している。杉家の人々にも唯雪は信頼されていたことがわかる。
文(美和)との再婚を報告する書簡で、明治十五年のもの(正式な結婚は明治十六年五月)。また、山口での養蚕がうまくいかなかったことに対し、励ましの言葉も送っている。養蚕のすすめは、士族の経済的な困窮に対する配慮であり、その政治姿勢は、松陰から受け継いだ至誠(まごころ)を尽くしたものであると言える。
久しぶりに、萩に滞在した素彦だが、もはや飲み友達といえるような者はおらず、既得権益を奪われた士族の親戚たちの不平話につきあうことに、うんざりしている。会って、一緒に酒を酌み交わしたいという素彦の思いが込められた、長年の交友がよく伝わる書簡である。