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『楫取素彦の友情』~楫取素彦が村田清風の次男・大津唯雪に宛てた書簡を展示

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  • 記事更新日:

    2016.02.25

  • ライター情報:

    長門市観光コンベンション協会

楫取素彦が村田清風の次男であり親友の大津唯雪に宛てた書簡を展示しています。  村田清風記念館では、2016年1月11日まで開催した『楫取素彦と妻・寿 展』で使用した展示パネルをひき続き展示すると共に、新たに『楫取素彦の友情』と題して、楫取素彦が村田清風の次男・大津唯雪に宛てた書簡を展示しています。大津唯雪は素彦の親友であり、禁門の変後幕府恭順派が長州藩の実権を握った際には、共に投獄され、苦難の時間を同じくしています。二人の厚い友情とその交流が伺われる貴重な資料をこの機会にぜひご覧ください。 

展示資料

① 明治三年の書簡

山県有朋がお気に入りの芸妓の引退に失望するだろうことを笑ったり、佐世(前原一誠か)が男色で糾弾されていること、唯雪にゴム入りの衣服を送るなど、人間味あふれるエピソードが描かれている。

 
② 明治十二年の書簡

禁門の変後、素彦が投獄された際に、妻・寿は湯呑を差し入れている。素彦と共に投獄されていた唯雪は、湯呑に「ヅクニウ(みみづく坊主)」と名付けている。ヅクニュウに似た磁器製の杯を自ら作り、唯雪に贈った際の書簡。二人が共にした苦労は、深く刻まれた思い出だったことがよくわかる。

 
③ 明治十二年の書簡

妻・寿亡き後、文との縁談が持ち上がったが、肝心の文が不服の様子。どうも、松本流の漢学の先生(松陰、もしくは玉木文之進か)の「婦人は再度の夫を持つものではない」という教えを守っているようなので、説得して欲しいと依頼している。杉家の人々にも唯雪は信頼されていたことがわかる。

 
④ 明治十五年の書簡

文(美和)との再婚を報告する書簡で、明治十五年のもの(正式な結婚は明治十六年五月)。また、山口での養蚕がうまくいかなかったことに対し、励ましの言葉も送っている。養蚕のすすめは、士族の経済的な困窮に対する配慮であり、その政治姿勢は、松陰から受け継いだ至誠(まごころ)を尽くしたものであると言える。

 
⑤ 明治十七年頃の書簡

久しぶりに、萩に滞在した素彦だが、もはや飲み友達といえるような者はおらず、既得権益を奪われた士族の親戚たちの不平話につきあうことに、うんざりしている。会って、一緒に酒を酌み交わしたいという素彦の思いが込められた、長年の交友がよく伝わる書簡である。

 

会場

村田清風記念館 

開催時間

9:00~17:00(入場は16:30まで) 

入場料

一般200円(160円)、小中高校生100円(80円)※( )内は20名以上の団体料金 

休館日

火曜日(祝日の場合は翌平日) 

問合せ

村田清風記念館TEL 0837-43-2818 村田清風記念館 https://nanavi.jp/attractions/murataseifuu   s-CIMG9232  s-CIMG9234