記事更新日:
2019.06.29
ライター情報:
長門市観光コンベンション協会
6月29日(土)、「ながと観光コンシェルジュ養成講座」第2回が行われました。
本講座は、長門市の知識を身につける「基本コース」とおもてなし力を高める「ホスピタリティコース」の2本立て。観光客の皆さんを、コンシェルジュのようなおもてなしで出迎える力を磨く講座です。基本コースは6~8月の期間に、全4日の行程で講義や体験が予定されています。
2日目の今回は、青海島の東端にある通地区からスタート。かつて古式捕鯨で栄えた通の地で、捕鯨の道具や漁師の写真などが並ぶ「くじら資料館」が会場です。
ここでは早川義勝館長から、当時の捕鯨の様子に加え、鯨の胎児を埋葬した「鯨墓」や300年以上続く法要「鯨回向」のお話などを聴きました。
最後は地域に伝わる労働歌であり、祝い唄である「通鯨唄」のうち、「祝え目出度」を早川館長が披露。鯨への哀悼と感謝の気持ちを表すため、手拍子ではなく揉み手で歌うのが特徴です。普段は聴くことのできない唄に、参加者からは大きな拍手が送られました。
続いては、通公民館の山田功平館長の案内で地区内を歩き、「鯨墓」をはじめ、さまざまなポイントに立ち寄りながら路地を抜けていきます。長い間、鯨と密接に関わってきた地域だからこそ、鯨が描かれたマンホールは自然と避けて歩いてしまう、なんてお話も。
民家と民家の間から見える海は、この地域ならではの光景。
山田館長の軽快な話しぶりに、「次はどんな景色に出会えるのだろう」とワクワクしてきます。
そしてたどり着いたのは、東の海に面した「段町」と呼ばれる場所。石積みの防波堤では、かつて捕鯨に使われた網が干されていたそう。通地区に刻まれた歴史を、自身の目で確かめることができます。
通地区は、童謡詩人・金子みすゞの父・庄之助が生まれた場所。みすゞもしばしば父の実家に遊びに来ていたそうで、「鯨回向」が行われる向岸寺の階段は、みすゞの「かたばみ」の詩の一節にある「駈けてあがつたお寺の石段」ではないかといわれています。
最後は、18世紀後半の漁師の生活を知ることのできる国指定文化財「早川家住宅」を見学し、通をめぐる午前の部は終わりました。
午後は、仙崎みすゞ通りにある「金子みすゞ記念館」へ。
矢崎節夫館長から、金子みすゞのまなざしや仙崎の風土についてお話ししていただきました。豊漁の日は仏壇に手を合わせ、互いに支えあいながら生きる漁師町・仙崎の人々の考え方を、言葉にしたのがみすゞさんだと話す矢崎館長。
決して自分中心にならず、他人がいるから生きている、魚をとらせていただいているから生きている。当たり前のことではありながらも、現代では見えなくなりがちな大切なものを再認識できる時間となりました。
2日目のラストを飾るのは、仙崎地区のまち歩き。ながとボランティアガイド会の金谷和夫会長と坂本和磨さんの案内で、記念館から北と南の2ルートに分かれて歩き始めました。
金谷会長は、みすゞ通りに点在するみすゞの詩の舞台や、みすゞのお墓がある「遍照寺」などを紹介しながら、「瀬戸の雨」の詩碑がある仙崎の北端へ。
仙崎八景の1つに数えられる「弁天島」や、終戦後に引揚者が降り立った上陸跡地などもめぐりました。
坂本さんは、まず祇園社とも呼ばれる「八坂神社」へ。
仙崎駅にも足を伸ばし、構内に今年開設されたギャラリーを見学しました。
こちらでは、引き揚げの歴史を知ることができるパネルや写真、また仙崎出身の作詞家・大津あきら氏の直筆歌詞の写しや、愛用のオーディオなどが展示されています。この地で語り継がれる2つの功績に思いを馳せることのできる場所です。
15時前には、土・日・祝日限定の山陰観光列車「○○のはなし」がちょうどホームに入りました。
参加者で手を振って出迎え、当初の予定にはありませんでしたが、約30分間の停車時間を使って車内見学も楽しみました。
同じ漁師町であっても、異なる歴史を持つ通地区と仙崎地区。それでも、金子みすゞの詩に描かれるようなやさしいまなざしは、通じ合う部分も多くあるような気がします。
前回とはまた違った切り口で、郷土の歴史に触れた2日目。次回からは、より「体験」も盛り込まれた講座が予定されています。「ななび」ではすべての回を通して、講座の模様をレポート記事でお届けします。