記事更新日:
2019.09.20
ライター情報:
長門市観光コンベンション協会
9月14(土)・15日(日)、長門市東深川の赤崎神社周辺で「赤崎まつり」が開催されました。
そのうち前夜祭を終えた翌日15日午後から奉納された「式三番叟」や「楽踊」、「湯本南条踊」の様子をレポートします。
毎年行われる「赤崎まつり」は、慶長元年(1596年)ごろ、牛馬の疫病が流行し、農業の守護神をまつる赤崎神社に祈願をしたところその願いがかない、その神恩に感謝するため、楽踊や湯本南条踊などが奉納されるものです。
昨年より、9月の第2日曜日に開催日が変更されました。
午後1時、赤崎まつりは「本殿祭」からスタート。
始まりの頃は日差しが強く、残暑を感じられる気候でした。
特設舞台では、正明市式三番叟保存会による「式三番叟」が奉納されます。
奉納芸能の第一番に必ず行われる「式三番叟」は、演者3名を全員男性がつとめる祝儀的な古舞踊です。
毎年、多くのカメラマンが集うことでも知られる「赤崎まつり」。
今年もお祭りの開始前から多くのカメラマンが赤崎神社を訪れていました。
「式三番叟」が終わると、そばで華やかな衣装を身にまとった踊り手たちが次の奉納の準備を始めていました。
国指定重要有形民俗文化財である「赤崎神社楽桟敷」では、多くの方が奉納を一目見ようと集まります。
この頃には、太陽が雲に隠れ、風も心地よく秋を感じられる気候になっていました。
午後2時、県無形民俗文化財である楽踊のひとつ「月の前の伶楽(つきのまえのれいがく)」が始まります。
声を合図に、踊りを始めたり変化させたり、鉦のリズムを変えたりする様は、とてもなめらかで変わり目を感じさせないほどでした。
中には、軽快に飛びながら舞を見せる場面も。
鉦の音が心地よく、派手さはなくとも見ごたえのある「月の前の伶楽」。
後に奉納される「虎の子渡し」と合わせて「楽踊」とされ、田植神事や虫送り神事などから発した田楽踊りから発展したものと伝えられています。
2つ目に奉納されたのは、同じく県無形民俗文化財の「湯本南条踊」です。
約40人の男性が連なって「オォー」という掛け声を響かせながら、楽桟敷に入ってきます。
中に子供が二人いて、大人に合わせて鉦の音を響き渡らせていました。
湯本南条踊には唄があり、独特なリズムと歌い手の声量でその場の雰囲気をガラリと変えていました。
諸説ありますが、岩国吉川藩が南条藩と争っていたとき、吉川藩士数十名が踊り子にふんし、踊りながら入城して南条軍攻略に成功した誉れを伝えるために始まったとされています。
最後に奉納されたのは、楽踊のひとつ「虎の子渡し(とらのこわたし)」です。
「月の前の伶楽」と打って変わって動きが大きく素早くなります。
現在、楽踊は毎年2つ奉納されていますが、初期には5つありました。
時代を追うごとに一つずつなくなっていったそうです。
今回の赤崎まつりではひとつひとつの奉納芸能の前に、飯山八幡宮の上田久充宮司から簡単な説明がありました。
最後の挨拶では「演者を集めるのが大変になってきましたが、こうして今年も受け継ぐことができて良かった」と話しました。
今年で423年。伝統ある奉納芸能が大人から子供へ受け継がれ、未来に繋がることを願います。